数字は魔物

 日産前会長のゴーン氏が不正に大金を手に入れていたことが大きな問題となっている。年収10億円も稼いでいるのに,なぜ不正な手段を使ってまでさらに大金を得ようとするのか不思議に思える。楽に生活するために金が欲しいということなら年に3千万円もあれば十分である。庶民にとって金は欲しいものを手に入れるためのものであるが,金持ちにとって金は使うためのものではないようである。金持ちにとって使うための金はほんの一部でしかなく,殆どは蓄えられる。蓄えられると金は単なる数字に変わる。数字となるとこれで十分という上限はなくなり,無限に大きくしたいと思う魔物となってしまうのである。50億円貯まれば次は100億円を,100億円溜まれば200億円を貯めたくなるのである。必用かどうかではない。数字の追求である。“金持ちの腹と雪隠は溜まれば溜まるほど汚くなる”と言われるのもこのためである。

 金に限らず,何事も時間,順位などに数値化すると人はこれを必死になって追求する性質がある。陸上競技100mの選手は1/100秒を縮めるために必死にトレーニングを行う。マラソンランナーは5秒,10秒の記録向上を目指して苦しい練習に励み,これが達成されればさらに縮めようとする。記録(数値)を意識すると人は決してそこにとどまることなく常にその数値を伸ばそうとして一生懸命に頑張る習性を持っている。

 私は9年ほど前よりウオーキングを行っている。あるとき自分が歩いた距離はどれくらいになるか知りたくて記録してみたところ,歩いた距離は昨年末までの7年間に17000㎞を越した。1ヵ月に毎月大体200㎞くらいになる。すると今度は1ヵ月に200㎞歩こうとして一生懸命になる。記録が途切れることに強い抵抗を感じていたのだ。このままでは記録に縛られて無理に歩くと思い記録することを止めた。記録をしなくなってからは束縛から解放されて好きな時に好きなだけ歩いている。人間の数字を追いかける執念がいかに強いかを改めて認識した。

 何事も三日坊主で終わらせないようにするには数値化して記録することである。ただ,数値化すれば続けることはできるが良い結果がもたらされるとは限らないので注意しなければならない。