筋肉と健康3

(5)グリコーゲンローディング

 持久運動では脂肪酸を主なエネルギー源として使うが筋グリコーゲンが枯渇してクエン酸回路の代謝中間体の補給ができなくなるとクエン酸回路が回らなくなり脂肪酸が燃えなくなる。運動中にこのような状態になるとまさにガス欠に陥る。これを防ぐには筋肉のグリコーゲン量を増やしておくことである。脂肪酸は無尽蔵と言ってよいほど蓄えられているからグリコーゲンさえあればクエン酸回路に代謝中間体を補給でき,脂肪酸をより長時間にわたって燃やすことができる。筋肉のグリコーゲン蓄積量を増やすためにアスリートが行う方法がグリコーゲンローディングである。レースの一週間ほど前から3,4日間炭水化物食を極力摂らないで,代わりに肉や乳製品などを食べる。そしてこの間はげしい練習を行うことで筋肉中のグリコーゲンを枯渇状態にする(図5)。ただし,グリコーゲンを完全な枯渇状態にすることは難しく,せいぜい40~50%程度にまでしか下がれば枯渇状態と言える。これは筋肉のグリコーゲン量が50%以下にまで低下するとグリコーゲンからのグルコースの供給が低下してグリコーゲンの役割を果たせなくなるからである。

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レースの2,3日前より炭水化物,とくにパスタ類を大いに食べてグリコーゲンの合成を増やす。さらには練習量を減らすことでグリコーゲンの消費をおさえる。こうすると筋肉中のグリコーゲンは元の量よりも高いレベルに達する(図5)。この元のレベルより上昇する現象はオーバーシュートと呼ばれる。なぜオーバーシュートが起こるかは説明できないが,生体が環境に適応しようとする能力を持っているからであろう。こうしてグリコーゲンの蓄積量を最大限に増やしてレースに臨めば持久能が大幅に向上させることができる。

 ただ数日間も過剰量の炭水化物食を摂っていると体重増が起こる。体重制限があるスポーツでは当然のことであるが,制限がなくても体重増加が微妙に影響するスポーツでは気を付けなければならない。炭水化物食を摂って体重増なしに筋肉のグリコーゲンを増やすことはかなり難しいことであるので注意が必要である。

 

(6)サプリメントで持久力を改善する

 グリコーゲンを増やさなくても筋肉のクエン酸回路の代謝中間体を供給しうる化合物が見つかれば脂肪酸を燃やし続けることが可能となる。しかし,肝臓の細胞には有機酸,アミノ酸,糖が容易に取り込まれるが,筋肉では細胞膜を透過する化合物が限られるのでそのような化合物はさらに限られる。その中で最も筋肉に取り込まれるものはアミノ酸のグルタミンである。グルタミンは筋肉中でグリコーゲンから供給される炭素骨格とアミノ酸から供給されるアミノ基から合成されるが,逆にグルタミンは血中濃度が高くなれば細胞内に取り込まれグルタミン酸に,さらにα-ケトグルタル酸に転換される。こうなればクエン酸回路の代謝中間体が増えるのでクエン酸回路の代謝が促進されてアセチル-CoAの酸化も促進される。このときアンモニアが生じるがアンモニアは遊離の状態でも血中を運ばれる。濃度が上がれば問題が起こるが低濃度ならば大きな問題とはならない。

グルタミンは遊離状態のアミノ酸として経口的に摂ると胃酸でたちまちの内に分解されてしまうのでペプチドの形で摂るのがよい。幸いなことに小麦粉のタンパク質であるグルテン酵素的に部分加水分解したグルタミンペプチドなるものが販売されている。これはグルタミンを30%含むのでグルタミン摂取には好都合のサプリメントである。これを水に溶かして10グラム程度を飲んでも吸収の時間を考慮すればアンモニア濃度の上昇は全く問題にはならない。

 グルタミンペプチドの摂取はグリコーゲンが枯渇してクエン酸回路が回らなくなったときに有効であるが,実際にはそのような事態になれば手遅れである。グリコーゲンが枯渇する前に摂ってα-ケトグルタル酸が供給されればクエン酸回路の流れが太くなってアセチル-CoAの酸化(脂肪酸の利用)が促進される。その結果グリコーゲンの消費を節約でき,持久力の改善ができる。

 

(7)レース前の炭水化物摂取の問題

 腹がへっては戦が出来ぬと言われるせいか日本人選手はマラソンレースの前に餅や炭水化物を食べる習慣がある様である。炭水化物食で血糖濃度が上がると脂肪組織での脂肪酸放出が減少し血中脂肪酸濃度が低下する。その結果,脂肪酸の利用量が減少し,その分グリコーゲンの消費が増加する。そうなるとグリコーゲンが早くに枯渇して運動の持続が出来なくなってしまう。筋肉のグリコーゲンは運動をしない限り減少しないのでたっぷり蓄えておいて空腹になり始めたところでレースに臨むべきである。しばらく走って空腹感に襲われた時には少しくらいなら甘いものを摂っても構わない。その時はアドレナリンも分泌されているので少々甘いものを摂っても脂肪酸放出が大幅に抑えられることはないと思う。マラソンのような持久運動では如何にグリコーゲンを長持ちさせるかが重要である。

 ラグビーやサッカーでは運動が間欠的であるので休んでいる間に糖分を摂ってグリコーゲンを合成できるもののパワーや持久力を最大限発揮するにはやはり予めグリコーゲンをできるだけ多く蓄えておくべきである。

 

(8)ミトコンドリアを増やす

 持久運動を行うときに最も重要なエネルギー(ATP)供給の器官はミトコンドリアである。筋肉細胞中のミトコンドリアの量はトレーニングを行えば増加するし,逆に運動しなければ減少する。生体は怠け者であり合理的にできているので必要なものしか作らないし,不要なものはすぐに片付けてしまうからである。ミトコンドリアの量が少なければ脂肪酸分解で生じたアセチル-CoAの酸化は速くはならず,そのためATP供給速度も低いのでマラソンで速く走ることはできない。これを補うために無理に速度を上げればより多くのグリコーゲンが消費されグリコーゲン枯渇を招くことになる。持久運動のパフォーマンスを上げるにはミトコンドリアを増やすことは必須である。

 厳しいトレーニングを多く行えばミトコンドリアは増え勝負に勝つことができるが,より楽なトレーニングを選びたくなるのは人情である。生体は環境に適応する性質をもっているのでこれを利用すべきである。

 筋肉のグリコーゲンが枯渇した状態でトレーニングを行えばクエン酸回路も働きにくくなるので軽い運動であっても細胞はエネルギー危機に陥る。そうなれば生体はミトコンドリアを増やそうとするし,グリコーゲンをもっと多く蓄えようとする。例えばマラソンのトレーニングを行う場合,だらだら走るだけでなく,全力に近い速度で短距離走を繰り返してグリコーゲンを消耗させたのちに軽い持久走を一定時間行えばミトコンドリアを効果的に増やすことができるし,蓄積するグリコーゲン量も増やすことができるはずである。ミトコンドリアを増やすにはエネルギー枯渇状態でトレーニングをすることである。

 

(9)トレーニングによって筋肉に起こる変化-乳酸の輸送

 しばらく運動をしないで急に運動を行うと翌日には筋肉痛に襲われる。しかし2,3日経って筋肉痛が治まったあとで同程度の強さの運動を行っても筋肉痛は起こらない。これはどう説明されるであろうか。

 結論から言えば筋肉をしばらく使わないと筋肉細胞膜上の乳酸輸送体が消失し,逆に乳酸が溜まるような激しい運動を行えば筋肉細胞膜に乳酸輸送体が現れるためと考えられる。負荷の強い運動ではグリコーゲンをエネルギー源として解糖系が働いてATPが供給される。解糖系が働けば乳酸が生成する。乳酸の大部分は細胞膜上に存在する乳酸輸送体によって細胞外に(血中に)輸送される。乳酸輸送体は負荷の強い運動を行うことで筋肉中に乳酸が溜まるとこれが引き金となって細胞膜上に現れるタンパク質である。生体を構成するタンパク質は寿命がくれば分解されて消失することで常に置き換えられている。生体はナマケモノにできていて不要なタンパク質は合成しない。このために2週間くらい運動をしていないと,即ち細胞内に乳酸が溜まらない状態が続くと乳酸輸送体は細胞膜から失われてしまう。ただし,現在までのところこの乳酸輸送体の誘導と消失を調べた実験はなされていないが乳酸による誘導は間違いないと考えている。しばらく運動をしないで急に行うと筋肉細胞膜から乳酸輸送体が消失しているので乳酸が細胞内に貯まる。このために細胞内のpHが低下し,その状態で筋収縮を繰り返すと筋原線維が傷つき,これがもとになって炎症が起こるのであろう。これが筋肉痛の起こる原因と思われる。筋肉痛が治まった後に再度同じような運動をしても筋肉痛が起こらないのは一度細胞内に溜まった乳酸によって乳酸輸送体が誘導され,その結果,生じた乳酸が速やかに細胞外に運び出されるためにpHの低下が抑えられたことに因っている。 

 もう一つ,久しぶりの運動では直ぐに筋肉がなまって運動の持続ができなくなるが,そのあと筋肉痛が治まってから再度同じ運動を行うと簡単には筋肉がなまらなくて運動を長時間続けることができるようになる。これはどうしてであろうか。このことは次のように説明される。解糖系の中でグルコース6-リン酸からフルクトース6-リン酸を生じるホスホフルクトキナーゼはpHがわずかに酸性に傾くだけで活性が大幅に低下する性質を持っている。このために細胞内に乳酸が溜まると細胞内が酸性になりホスホフルクトキナーゼの反応が進みにくくなる。ホスホフルクトキナーゼは解糖系全体の速度を決定する律速酵素であるのでこの反応が進みにくくなる。そうなれば解糖系からのATP供給速度も低下し,運動に必要な量を供給ができなくなり筋肉が動きにくくなるからである。

 筋肉痛が治まった後では乳酸輸送体が発現しているから同じような強度の運動をしても細胞内が乳酸で酸性側に傾くことも抑えられる。そのために解糖系からのATP供給も低下することなく運動時間も延長するのである。

 久しぶりの運動で筋肉痛が起こること,あるいはすぐに筋肉がなまるのが筋肉細胞膜上の乳酸輸送体に起因することは運動生理学者の間ではまだ広く認められていないと思う。最近のことは知らないが少なくとも10数年前には全く認められていなかった。この理由は運動生理学の研究者が実験を行うとき被験者としてアスリートを使っているためではないかと思われてならない。アスリートは常にトレーニングをしているので筋肉細胞膜上に常に乳酸輸送体が最大に出現していて乳酸が筋肉内に溜まることはないからである。最近の様子は分からないが,私の体験からは運動生理学の研究者は乳酸が筋肉を自由に出入りすると考えていると思われる。

 

(10)グリコーゲン合成系の改善とミトコンドリア量・筋原線維の増加

 トレーニングを始めて最初に起こる変化は乳酸輸送の改善であるが,これに続いてグリコーゲン合成系の改善,ミトコンドリア量と筋原線維の増加である。乳酸輸送の改善は運動後すぐに起こるのでその効果はすぐに表れる。したがって運動のパフォーマンスの改善は一週間もトレーニングを行えば目に見えて改善される。しかし,その後の変化はゆるやかに進行するので運動能が改善されるには月単位の時間がかかることになる。

レーニングによって筋肉でのグリコーゲン合成に関与する酵素量が増加することを示す実験結果が多く報告されている。ウサギの前脛骨筋に電極を差し込み間欠的に電流を流して筋収縮を繰り返しているとグリコーゲン合成に関与する酵素の量が増加し,3週間も収縮を続けていると10倍以上に増加することが示されている。酵素量が増加すればグリコーゲン合成速度も上がるはずである。別な実験ではトレーニングを行うことでグリコーゲン蓄積量も増加することが示されている。

 筋肉に蓄えられるグリコーゲン量は筋肉重量の1%と言われている。すなわち質重量で1kgの筋肉に乾燥重量で10gのグリコーゲンが含まれるということである。しかし,この10gという値は平均的な量であってトレーニングにより変動すると思われる。トレーニングで蓄積量が増加することは間違いないが,どこまで増加するかは明確にはなっていない。トレーニング量が多ければ多いほど長距離走の持久力が改善されること,また大相撲ではよく稽古をした力士は体の張りが大きく変わってくることなどを考えるとグリコーゲン蓄積量はトレーニングによって大幅に(数倍に)変化すると思われる。グリコーゲン量を非侵襲的な方法で把握できればもっと明確に言うことができるが,残念なことに生検で筋肉組織を一部取らなければ測定できないのがつらいところである。

筋原線維の増加,ミトコンドリアの増加の段階になると緩やかではあるがトレーニングによって確実に進行する。持久運動能の向上にはミトコンドリア量の増加とともにグリコーゲン蓄積量の増加も要求される。ミトコンドリア量の増加にはグリコーゲンの枯渇状態でのトレーニングが必要であり,グリコーゲン蓄積量の増加にはグリコーゲンを枯渇させるような負荷の強いトレーニングが必要である。瞬発力が要求される運動のためには負荷の強いトレーニングで筋原線維の増加も必要である。これらの効果が表れるには少なくとも1カ月から数カ月のトレーニングが必要である。持久運動のトレーニングだからと言って漫然と持久運動を繰り返す練習だけではパフォーマンスの向上は期待できない。