筋肉が運動時に血糖を利用しないメカニズム

 今回からしばらくは運動時のエネルギー供給について述べようと思う。

 体内で筋肉のエネルギー源となる主な物質は脂肪酸,グリコーゲン,血液中のグルコース(血糖)である。筋肉は運動時に脂肪酸を最優先して利用するが,負荷が強くなると脂肪酸からではATP供給が間に合わず糖も解糖系で代謝される。しかし以前にも述べたようにこの時血糖はエネルギー源として利用されずグリコーゲンが利用される。なぜ運動時に血糖が利用されないかというと,それは血糖を運動に使ったのではたちまちのうちに低血糖になってしまうからである。軽いジョギングでも1分間に8kcalを消費する。これが血糖でまかなわれるとなると1分間に2gの糖を消費する。2分間も運動すれば4gが失われる。血糖は100mg/Lで血液量は5L程度であるから血糖の総量は5gでしかない。4gも失われれば低血糖状態に陥って命も危うくなる。これを防ぐために生体には運動時に血糖を利用しない機構が備わっている。

 筋肉でグルコース代謝の最初の段階であるグルコース-6リン酸を生成する反応はヘキソキナーゼと呼ばれる酵素によって触媒される(下図参照)。この酵素グルコース-6リン酸によって強く阻害される性質を持っている。このため運動時にグリコーゲンが分解してグルコース-6リン酸の濃度が上昇すると(筋肉にはグルコース-6リン酸を分解してグルコースを生成する酵素が存在しない)ヘキソキナーゼが阻害されてグルコースからグルコース-6リン酸への反応は強く抑制される。このため血糖の利用は停止する。このような機構で運動時グリコーゲンが分解しているときには血糖は筋肉で利用されない。

 ところが400m走などで頑張りすぎて無理をするとゴールインしてから嘔吐することがある。これはグリコーゲンが減少してグルコース-6リン酸の供給速度が減少したにもかかわらず,無理をした結果である。グルコース-6リン酸が減少してヘキソキナーゼの阻害が弱くなった状態で激しく筋肉を働かせると血中のグルコースが利用されて低血糖になってしまうからである。

 なお,肝臓では筋肉と同じ経路でグルコースからグリコーゲンが合成されるが,肝臓でのグリコーゲン合成は筋肉での合成よりはるかに早く反応が進行する。これは肝臓ではヘキソキナーゼと同じ反応を触媒するが酵素グルコキナーゼに置き換えられていてグルコキナーゼグルコース-6リン酸濃度が上昇してもその反応が阻害されることがないためである。肝臓は脳のために空腹時に血糖を補給しなければならないので,減少したグリコーゲン量を一回の食事で完全に回復させなければならず,グルコース-6リン酸で阻害されては具合が悪いと考えられる。生化学では同じ反応を触媒するがタンパク質の異なる酵素をアイソザイムという。筋肉と肝臓でこのようにグルコースからグルコース-6リン酸を生じる反応が異なったタンパク質で触媒されている理由は筋肉では運動時に血糖を利用しないために,さらに筋肉で肝臓のように速くグリコーゲンを合成したのではグルコースの消費量が大きくなって低血糖に陥ってしまうのに対して,肝臓では摂食後に最優先してグリコーゲンを合成しなければならないことに因っていると考えられる。

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