筋肉と健康  1

はじめに

日頃からスポーツを行っていて筋肉が発達している人はいつも家の中にいて体を動かしていない人より健康であるのは間違いないようである。いつも運動する習慣があれば余分な脂肪がたまらなくて循環器系の病気にならないことは容易に想像できるが,感染症には強くなるのかならないのかよくわからない。もし強くなるならば,なぜ運動で免疫力が強くなるのだろうか。コロナウイルスの感染状況をみてもサッカーや野球選手のように常に運動をしている人は感染しても軽症で済んでいる。どうも運動で体を鍛えていると免疫力も強くなるようであるがこのことはどう説明されるのだろうか。一方,運動をしすぎて体力を消耗したときには風邪を引きやすくなるが,これはなぜだろうか。病気との関連以外にも練習方法,食事の摂り方など諸説あるが,その方法が正しいかどうかを判断するには科学的な裏付けが必要である。

この“筋肉と健康”シリーズではこれらの問題について説明をしたいと思う。しかし,その説明をしようとすると話が生化学的にならざるを得ず,時には代謝経路という馴染みがなく覚えにくいものが出てくることがある。馴染みのない代謝経路を覚えようとするのは無理な話で,これは覚えようとせず,旅行の計画を立てるときに鉄道の時刻表を見る気持ちでながめればよいと思う。旅行をするときには乗り換えの駅は頭に入れておかなければならないが鉄道の途中の駅を覚えようとはしない。どこで乗ってどこで降りるだけ頭に入れておけば十分である。代謝経路も何からスタートして何が出来るかが分かればそれで充分である。どうか気楽に読んでいただきたい。

 

レーニング編

(1)グルコースは脳のためのものである―筋肉は脂肪を優先的に利用する

 我々の社会では石油を燃やして得られるエネルギーを電気エネルギーに代えて活動のエネルギーを得ているように,生体は糖あるいは脂肪を燃やして得られるエネルギーをATPの形にして生命活動を営んでいる。体内でエネルギー源として使われる主な物質はグルコースと脂肪であるが,筋肉では脂肪が優先的に使われる。脂肪の酸化ではATP供給が間に合わないときにのみ筋肉はグルコースを使う。ただしそのグルコースは血中のグルコースではなく筋肉に蓄えられていたグリコーゲン(グルコースの重合体)から供給される。これはヒトの体内では脳が血中のグルコースのみをエネルギー源として利用し,脳がエネルギー不足に陥ると脳細胞が不可逆的な死に陥ってしまうのでこれを防ぐためである。エネルギー不足で細胞が死ぬのは脳に限ったことではないが脳が死ねば生体は生命を維持することができない。このためにヒトの体内ではこのように運動中にグルコースを使わないで脂肪(実際には脂肪が分解されて生じた脂肪酸)を優先して使う仕組みが備わっている。脂肪からではエネルギー供給が間に合わなくなるような負荷の強い運動時にのみグリコーゲンから供給されるグルコースを使うが,この時でも血糖は使わない。もし筋肉が運動時に血糖を使うならばたちまちのうちに低血糖状態となり脳が機能できなくなってしまうからである。ジョギング程度の運動でも1分間当たり5~6kcalのエネルギーを消費する。グルコースのエネルギー量は4kcal/g であるから1分間に1.5gのグルコースが消費される。もし運動時に血糖が利用されたなら血糖の総量は4g程度であるから軽い運動でも開始して1,2分後には低血糖状態に陥って生命の危険に曝されることになる。ヒトの肝臓ではグルコースが産生されるが1分間に0.1g程度であるので短時間に血糖を補うには全く役立たない。生体はこのような事態を避けるために運動時にはグルコースの利用を抑えて,脂肪酸を主なエネルギー源として利用する。

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 図1は筋肉でグルコースからグリコーゲンの合成と分解を示したものである。空腹時にはグルコースは筋肉細胞内に取り込まれることはないが,摂食後に血糖濃度が上がりインスリン分泌量が増えると筋肉ではグルコース輸送体が筋肉細胞内の顆粒から細胞膜に運ばれ血中からグルコースが細胞内へ輸送される。細胞内でグルコースはヘキソキナーゼという酵素の作用でATPを消費してグルコース6-リン酸となったのち3段階の反応によってグリコーゲンとなって筋肉中に蓄えられる。このときグルコース残基(グルコースが他の化合物に結合しているとき元のグルコースに由来した部分をグルコース残基という)はすでに存在しているグリコーゲンの末端に結合してグルコース鎖が伸長することでグリコーゲン量が増加する。運動時には神経刺激あるいはATP(Aにリン酸が3個結合)から生じたAMP(Aにリン酸が1個結合)の増加がシグナルとなりグリコーゲンが分解する。通常はATPが分解してADP(Aにリン酸が2個結合)が生じることで必要なエネルギーが得られるが負荷が強いとさらに2分子のADPから1分子のATPと1分子のAMPが生じることでATPを供給する。AMPが生じることが筋肉のエネルギー危機と判断してグリコーゲン分解が促進される。グリコーゲンの分解産物が代謝されてグルコース6-リン酸となり,さらにフルクトース6-リン酸を経てピルビン酸または乳酸にまで分解される(図1参照)。グルコース6-リン酸から乳酸までの代謝経路は解糖系と呼ばれる代謝経路であり,酸素を利用しない代謝系である。この解糖系の代謝速度は次の段階のピルビン酸がアセチル-CoAを経てCO2とH2Oにまで酸化される呼吸系の代謝速度に比べて極めて早いという特徴がある。このために激しい運動時には生じるピルビン酸は量が多く呼吸系では一部しか酸化されない。そのため過剰となったピルビン酸は乳酸となって血中に放出される。グリコーゲンから生じる1個のグルコース残基が呼吸系で完全酸化されると37個のATPが生じるのに対し,乳酸まで代謝されるだけでは3個しか生じない。しかし解糖系の代謝速度が早いために単位時間当たりのATP産生量が大きく瞬発力を要する運動では解糖系からATPが供給される。呼吸系が働くためにはピルビン酸をミトコンドリアに輸送し,酸素も血中からミトコンドリアに運び込まなければならない。またミトコンドリアの量も限られているのでその代謝速度を上げることは難しい。一方,解糖系の酵素はすべて水溶性で細胞質に多量に存在し得るので容易に代謝速度を上げることができる特徴がある。

運動時にはグリコーゲン分解によってグルコース6-リン酸が生じるが肝臓と違って筋肉にはこの化合物からグルコースを生じる酵素が存在しないのでグルコース6-リン酸はフルクトース6-リン酸へと代謝される。次のフルクトース6-リン酸を代謝する酵素であるホスホフルクトキナーゼが解糖系の代謝速度を調節する律速酵素であるために解糖系の代謝の流れがこの段階でせき止められた状態になりフルクトース-6リン酸濃度が上昇し,この結果グルコース-6リン酸濃度も上昇する。この化合物は細胞内でグルコースが使われるときの最初の反応を触媒するヘキソキナーゼを強く阻害するために運動時に血中グルコースの筋肉細胞中での利用は強く抑えられる。このような仕組みによって運動時には筋肉での血中グルコースの利用は抑えられるのであるが,この仕組みが破綻することもある。400m走,あるいは800m走など中距離走などで頑張りすぎたときには嘔吐を催すことがある。これはグリコーゲンが減少してグルコース6-リン酸の供給速度が低下した状態になったにも関わらず気力で頑張ったために(解糖系を働かせすぎたために)グルコース6-リン酸の濃度が低下してヘキソキナーゼ阻害が弱まり,その結果,血糖が利用されてしまい低血糖状態に陥ったからである。

 なお,肝臓ではグルコースからグルコース6-リン酸生成の反応はグルコキナーゼと呼ばれる酵素が働くが,筋肉ではグルコース6-リン酸でこの酵素反応を抑えなければならないのでグルコキナーゼとは異なるタンパク質のヘキソキナーゼが存在している。このヘキソキナーゼとグルコキナーゼのように同じ反応を触媒するが酵素タンパク質が異なる酵素の関係をアイソザイムという。

 筋肉では運動時に血中のグルコースを使わないで筋肉に蓄えたグリコーゲンを使う仕組みになっていることをを説明したが,脂肪がグルコースに優先して使われるのはどのような機構に因っているのであろうか。

 空腹時にはインスリン分泌が低下して逆にグルカゴンの分泌が上昇する。この結果,脂肪組織ではホルモン感受性リパーゼが活性化されて脂肪が分解される。生じた脂肪酸グリセリンは血中に放出され,体内の各組織で利用される。脂肪分解はグルカゴンの他にアドレナリンによっても促進される。脂肪酸は筋肉に運ばれると分解されてアセチル-CoAを生じる。アセチル-CoAは図1に示したピルビン酸からアセチル-CoAを生じるピルビン酸脱水素酵素の反応を強く阻害するために脂肪酸の濃度が上昇するとこれが分解してアセチル-CoA濃度が増加するためにグルコースの酸化は停止する。このことは肝臓でも同じである。このようにして空腹時には生体は脂肪酸から生じたアセチル-CoAを酸化すると同時にルコースの利用を停止する。グルコースはあくまでも脳が利用するためのものである。

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摂食後のインスリン濃度が上昇した時でも濃度は低いが血中脂肪酸は存在しており,脂肪酸が使われればグルコースの利用は抑えられるので脂肪酸グルコースに優先して使われることは同じである。運動の負荷が強くなって脂肪酸からではATP供給が間に合わなくなるとATPから生じたADPが多くなり,生じたADP2分子からATPとAMPを生じる反応が進行する。

ATP → ADP + リン酸     2ADP  →    ATP + AMP

AMPは強力な生理作用を持つ物質であり,グリコーゲン分解酵素(ホスホリラーゼ)の促進もおこなう(図1)。運動の強度が上がったときにグリコーゲン分解が起こって解糖系でATPが供給されるのはこのような機序に因っている。摂食後の血中脂肪酸濃度が低いときは脂肪酸が利用しにくいので比較的負荷の小さい運動でもグリコーゲン分解が起きやすくなる。

 このように筋肉は通常は脂肪酸をエネルギー源として使い,ATP消費量が増えて脂肪酸からでは供給が間に合わなくなったときにのみグリコーゲンを使う。しかし,血糖は使わない。血糖はあくまでも脳のためのものであるからである。

 空腹時に血中脂肪酸濃度が上昇することを考えるとジョギングで脂肪を減らそうとするならば空腹時に行うべきである。摂食後の血糖濃度が高いときにはインスリンの作用で血中脂肪酸濃度が低くなっているのでグリコーゲンが使われやすい状態になっているからである。とはいえ筋肉のグリコーゲンが減少すればその後で食事を摂ったときグリコーゲン合成をしなければならないので脂肪太りを抑える点において効果があることは間違いない。