“あの世”について

 仏教では死後の世界にあの世があり,善人は極楽へ悪人は地獄へ行くと言われている。しかし,今の世の中でそのようなことを信じている人がいるとは思えない。普通に考えれば死んだら終わりである。このようなことをいうのは仏教だけかと思えば西洋にも天国,地獄という言葉があるので洋の東西を問わず同じようなことが言われていると思われる。あの世を信じ込むことは人間社会に都合の良い効果をもたらすからこのような言われがあるのかもしれないが,古くより世界中で言い伝えられている裏にはもっと何か他に理由があるのではないかと思い,屁理屈のような話を考えてみた。

 言うまでもなく人は両親からDNAを貰って生まれてくる。父親からの遺伝子と母親からの遺伝子で自分が成り立っている。要するに自分の中には父親が半分と,母親が半分含まれる。言い方を替えれば父親,母親がそれぞれ半分に薄められて自分の中に生きていると言うことができる。もし親が良い行いをして多くの人たちから感謝されるような人生を送っていたならその子は世間から暖かい目で見られ,何か困ったときには廻りから助けられるかもしれない。逆に,親が世間から恨まれるような行いをしていたら子は周りから白い目で見られ,そのせいで困ったときに周りから助けられないどころか足を引っ張られることもあり得る。極端に言えば親の行いによって子の世界は天国にも地獄にもなり得る。こうしてみると親にとってあの世とは子の目を通してみたこの世であるということができる。

 とは言え子の幸せにとって親が良い行いをするだけでは十分ではない。親の行いで子が救われることなど滅多にないことで,子は自分の力で人生を切り開いてゆかなければならない。親の務めは子が自力で人生の荒波を乗り越えられるように教育することである。学校での勉強は学校に任せなければならないが,生きていく上での心構え,行儀作法等々は基本的には親が教えなければならない。しかし,現代の社会では富の配分が偏り,多くの人が子を大学にやりたくてもやれない状態に陥っている。また仕事がきつく子供の教育にまで手が回らなくなっている人もいる。まじめに働く人たちが貧困のために自分の子の教育ができないことは本当に悲しいことである。

 ところで名を成し有り余るほどの財を蓄えた人でも死を迎えた際に自分の子が独り立ちできない状態であったなら死ぬに死にきれないことと思う。生きるために唯一の頼りであった親を失う子の未来は地獄であり,自分の死後,子の行く末がどうなるか容易に想像できる親もまた地獄である。今の世の中で老人は行政から種々の保護を受けて恵まれた状態にあるが,それ以上に病気や事故で自立できない人への支援を充実しなければならないと思う。障害のある子をもつ親が安心して死を迎えられるようにすることは国が最も優先しなければならない課題と思う。

多くの人はこの世に生を受けたからには人の役に立つ仕事を成し遂げて後々まで名を残したいと思うだろうが,そんな大きなことをしなくても自分が死んだ後に子から感謝されるならそれで十分ではないであろうか。私は子育てほど重要な仕事はないと思っている。一生懸命に子を育て次の世にバトンタッチをする。ものすごく大事な仕事である。そのためには安心して子育てができる世の中にしなければならないし,子孫がこの地球上に住めなくなるような温暖化,環境汚染を何としても食い止めなくてはならないと思う。

もう一つ,孔子の言葉に「身体髪膚これを父母に受く。敢えて毀傷せざるは孝の始めなり」という言葉があるが,自分の体は親からもらったものだからというだけでなく,自分の体の中に親がいるからどんなときでも自分の体は大事にしなければならないと思う